仏教 渡辺照宏著

高校生の頃に読んだ以来の再読です。仏教を学びなおすのに、仏教の全体像を秀逸に説明してくれる本書から始めることにしました。仏教を学ぶ学生御用達。素朴な表紙を見るだけで、眠気を誘う、かの有名な岩波新書シリーズです笑

”苦”しみから離れる事が仏教の最大のテーマ。

(以下、転法輪経より)

(以下、第一部)

中道

当時のインドの価値観であった、快楽を追い求める姿勢と苦行を追い求める姿勢。快楽を追い求めても満たされず苦しい。苦行を続けても解脱できず苦しい。苦しみから離れた第三の道はないだろうか。そしてブッタが見出したのは苦楽の二極を離れた中道である。

※注 仏教は快楽主義と苦行主義を批判した。けっして間をとった訳ではない。

では中道とは何なのか。その具体的な形として八正道を見出した。

智慧の部

主に保守派はこの部分の偏重した。智慧の完成を求め、利他より自己の研鑽に重きを置いた。

※慈悲や利他行を否定したわけではない。

八正道

正しい見解(正見)、決意(正思)、言葉(正語)、行為(正業)、生活(正命)、努力(正精進)、思念(正念)、瞑想(正定)。

その中でも正しい見解(正見)が一番肝要と説く。そして最大のテーマ”苦”を観る方法として四諦がある。

(以下、第二部)

四諦

苦とは何か(苦諦)、苦 は何によって起こったのか (集諦)、苦 の超克とは何か(滅諦)、どんな方法で超克するか(道諦)

苦諦

様々な苦(四苦八苦)がある。それらは五つの要素(五蘊)から出来ており、その全てが苦である。

※四苦八苦

生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦

※五蘊

色(形あるもの)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意志作用)、識(認識作用)

集諦

苦の原因は欲望。欲望には三種類ある。一つ目が官能的欲望(欲愛)、二つ目が生きたいという欲望(有愛)、三つ目が生きる事をやめたいという欲望(無し有愛)、そしてそれらの欲望は満たされることがない(渇愛)。

滅諦

この苦を滅するという目的を果たす為には、苦の原因である欲望を滅する事が必要である。

道諦

この苦の原因である欲望を滅する方法こそが中道として示された”八正道”にほかならない。

(以上、転法輪経より)

この四つの真理を悟れるものを仏陀という。但し「独覚」として、「完全なる仏陀」より劣るとされた。

四摂事

布施(贈り物をする)、愛語(親切に話しかける)、利行(役に立つことをする)、同事(相手の身になって行動する)という”行い”

四無量心

他者の幸せを祈り(慈)、ともに悲しみ(悲)、ともに喜び(喜)、しかもそれに執着しない(捨)”心”。

慈悲の部

革新派はこの部分を偏重した。智慧の完成より、利他行の実践に重きを置いた。

※智慧の部の教義を全て否定する訳ではない。

慈悲

ブッダは慈悲心を持つことを説いていた。しかしブッダ亡き後、ブッタに倣って出家修行をしていた人々は知識の追求と自己の解脱を求めるあまり、利他をないがしろにした修行僧もいた。それに異議を唱え、慈悲心の重要性を説き、実践の方法として六波羅蜜を勧める修行僧もいた。

六波羅蜜

布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧

菩薩の拡大解釈

菩薩は元来、悟るまでの釈迦を表す語であった。釈迦が悟ったよう釈迦の教えに従って励めば皆が救われるのではないか。保守派はそれを否定した。独学にはなれるが完全なる悟りを得られるのは仏陀ただ一人であるとした。

革新派は皆がブッダの教えに従って励めば完全なる悟りを得られると考えた。という事は全ての人が仏陀になれる可能性があるのであれば、全ての人が釈迦が悟る前と同じ状態、つまり菩薩であると考えた。

信仰の部

第三の道

保守派の僧侶が出家教団の中に閉じこもってひたすらに解脱への道に励んだ。革新派の僧侶は菩薩の道を選んで社会に出て励んだ。しかし一般大衆にとってはどちらの道も極めて困難であった。仏陀はそういう人々の為に第三の道として信仰を勧めた。

帰依と布施

修行をする事が難しくても、その入り口としてまずは仏、法、僧への帰依と布施を勧めた。

ストゥーパ信仰

仏陀亡き後、仏陀を拝して心の安心を得る事は出来なくなった。その為仏陀の遺骨を納めたストゥーパを拝するようになった。またストゥーパ建立への布施や、それを守る教団への布施が行われるようになった。そしてストゥーパを拝することや、ストゥーパや教団に布施する事は、功徳を頂けると考えられるようになっていった。

結論

仏陀の仏陀たるゆえん(一切智)は何か。

「それは菩提心を因とし、大悲を根として、方便を究竟とする。菩提とは何か。如実に自心を知ることである。」

目的を求める心をきっかけとし、あらゆる衆生への慈愛を土台として、目的を実現するための手段を実践し続ける。目的とは何か。それは自分の心をありありと知る事である。

大毘盧遮那成仏神変加持経 住心品

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