心の鐘

”師匠は釣鐘の如し。弟子は撞木(しゅもく)なり。小撞木にては、本の音は出す。石なれば、小石程に鳴り、本撞木ほど手なれてつけば山より里まで、時を知らせるなり”

「役者論語」 江戸時代中期に編集された名優の言語録 より

撞木とは鐘を打ち鳴らす器具。如何に良い鐘であっても撞木が悪ければ本来の音は出ない。いたずらに小石を投げてもそれ相応の音しか出ない。鐘にあった撞木で、しかもそれを慣れたものがつけば、本来の音を発揮して山から里まで音を響かせる。

「役者論語」では、師匠は素晴らしいものを秘めているが、それを引き出せるかは弟子の求め方次第だという。しかし素晴らしいものを秘めているのは師匠だけではない。師匠でも、弟子でも、大人でも、子供でも、それぞれに素晴らしい可能性を秘めている。それはそれぞれが仏心という素晴らしい”心の鐘”を秘めているという事ではないか。

とても記憶に残っている少年がいる。ある作業場で罰せられた非行少年といっしょに作業しているときである。その少年と親との面会があった。

父親が来た。父親は社会的に立場がある人だった。子供と会うなり、「わしの顔に泥を塗ったな!」と否定した。子供は父を睨んだ。

後日母親が来た。母親は「ごめんね、あんたが悪いんじゃないの」と子供を否定しなかった。子供は母と共に泣いた。

撞木というのは材料に硬い金属類は決して使わない。硬いもので強く叩けば良いと思うが、音が割れてしまう。樫や檜など適度に柔かい樹木類で叩いてこそ始めて本来の良い音を出す。

否定するのではなく、ともに思い悩み、慈悲の心をもって接する事で始めてその人の本来の魅力が顕れ、響きわたるのではないだろうか。

みちしるべ名講話選

松原泰道師 説

※概略を私なりに纏めてみました。

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