正しく諦める

人は、人と人との間で悩む生き物であると言われます。

今日は青森の恐山の院代(住職代理)をなさっている南直哉さんの著書「禅僧が教える心がラクになる生き方」からご紹介させて頂きます。南さんが僧侶として永平寺や恐山で沢山の悩み相談を受け、その中で得た学びを書かれた本です。

あるとき、40歳過ぎの独身男性が相談にやってこられたそうです。そして同居する母親が何かにつけ自分の生活に口をだし、その支配的な態度によって日々が苦しくて仕方がないというご相談でした。

その男性はきちんとした仕事に就き、経済的に安定しています。第三者からみれば母親と距離をおけば解決する問題です。

「そんなに苦しいのなら、少し距離をおけばよいのではないですか。実家から独立してアパートを借りたらどうですか?」と伝えました。

すると彼は「そんなこと言ったって、母はすぐ部屋まで来てしまう!」と言いました。

それならば一旦部屋に入れ、泊まらせなければ少しでも距離は取れます。

そかし彼は「そう言っても。。。」と納得はなさいませんでした。そして彼は「苦しい」「苦しい」と訴えていたそうです。

しかし、母親が食事や身の回りの世話をしてくれているのも事実です。そしてそれは受け入れています。「生活の便利さ」と「親の過干渉」のどちらを選ぶのかというのがこの問題の本質です。

人間関係の問題を考える時に大切なのは、「つらい」「憎い」「嫌いだ」という話と「今起きている出来事」は別物だと理解する事です。

しかし多くの人はそれを混同してしまい、悩みが堂々巡りをしてしまいます。

”諦”めるという字は一般的には「断念する」という意味で使われますが、仏教では「明らかに見る」という意味です。仏様の智慧を表す語なのです。

「苦しい」「つらい」という感情と距離を置き、どの様な関係性によって問題が起きているかを「明らかに見る」事ができるのか。人と人の間におこる問題を解決する為に一番大切な智慧です。

と書かれていました。

私達はしばしば感情の荒波に飲み込まれて自分自身を見失ってしまいます。そして今、コロナウイルスの影響で、社会に急激な変化が生まれ、その中で様々に悩み苦しんでいます。そんな時こそ穏やかに私達を見つめる仏様のように、落ち着いて問題を見つめ乗り越えていきたいと思います。

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