心は体から動かす

心は体を動かすことで作られるんだな、と感じます。

「法句経」というお釈迦様が説かれた言葉に一番近いといわれるお経の一つに、この様に書かれています。

精進(はげみ)こそ不死の道
放逸(おこたり)こそは死の径(みち)なり
いそしみはげむ者は
死することなく
放逸(おこたり)にふける者は
生命(いのち)ありとも
すでに死せるにひとし

私は高校生の頃、日蓮宗の総本山 身延山久遠寺というところで修行させて頂きました。とても厳しい環境で、そこでは一年生には歩く許可がありません。どういう事かというと、朝起きた瞬間から全て走る。少しでも歩いているのを先輩に見られると、ものすごく怒られます。そしてそれは夜寝る瞬間まで続きます。

その当時は何故ずっと走っていないといけないかよく分からず、追い立てられる毎日の中ただ怒られたくない一心で走り続けていました。

しかし、今振り返ると気づく事があります。当時は15歳です。遊びたいし、サボりたいし、楽をしたいのが素直な気持ちです。修行してもいいよ、でも無理ない範囲で出来るようにやってね、と言われたら確実にやりません。

それでも、怒られるからという理由でも一生懸命に走っていると、だんだんとやるしかないという気持ちになっていきます。その時に頭を使って何故やらないといけないのか、と考えていたらやらなくてもいい理由を沢山考え、思い浮かべ、そこに居ることさえ嫌になっていたと思います。考える前に動くこと。それをさせてもらったからこそ、修行をする為の心の素地を作って頂けたのだと思います。

私達は与えられた環境の中で必死に生きていかないといけません。今、コロナウイルスの影響で大変な環境の中にいらっしゃる方もいるかもしれません。先のことを考えれば考えるほど嫌になってきます。しかし、それらを一度棚上げして、なんでもいいので出来ることに対して体を動かしてみる。そうすると心が上向いて見えてくる道があるのかもしれません。

大変な環境の中でこそ育つ力があるのではないか。果物は水分が少ない環境で育つと、必死に生きて甘みを増すそうです。苦難を乗り越えてこそ実る豊かな果実があるとを信じて頑張っていきたいと思います。

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