繁栄の中の孤児

有名な禅僧が花柳界のお宅の法事に招かれました。法事が済み、お斎の席でお給仕にこられた芸者さんから自嘲的にこんな事を尋ねられました。

「老師さま、私どものように泥んこの中で、時には人をだまして生活している者など、とても仏さまにはなれませんわね。」と。

老師さまはにこやかなお顔で

「いやいや、あんたがたが、ほとけにならなかったらだれが仏になれるか?金と男と酒、騙し騙される泥の世界、私などとても駄目と卑屈になるのが貧しい子。そこだけ気をつけなさい。」

と言われたそうです。

法華経の4番目の章ではこんな譬え話が説かれます。

あるお金持ちの子供が幼いときに家を出て迷子になってしまいました。父は何年も何年も探し歩きましたが、なかなか見つける事ができません。

息子は大人になりましたが、住むところもなく、その日を食べるのにも事欠く貧しい日々を過ごしていました。そんな中で、たまたまお金持ちの家の前を通り、すごい家だなぁと感心していました。あまりに幼い時に家を出たのでそれが自分の家だったという事すらもわからなかったのです。

しかし父はひと目見た瞬間に自分の息子だと確信しました。急いで使用人をつれて息子のもとに駆け寄りました。しかし息子は、自分は貧しい存在で、この家に関係があるなんて思ってもいません。お金持ちの家の前にいたら、綺羅びやかな格好をした主人と使用人が急いで飛んで来たのです。当然息子は怖くなり、急いで逃げました。

父は反省し、息子を助けるために方法を変えることにしました。それは息子を変えるのではなく、まず自分を変えるという方法でした。

まず使用人を息子のところへ送り、汚物を掃除する仕事がある、そしてそこは普通のところよりも良い給料が貰えるから働かないか、と誘わせました。息子はそれならばと、父の家で働くことにしました。

しかし父は息子が来ても自分の息子だと言う事を明かさず、自分も汚れた衣服を来て、息子の側により、「ここで真面目に一生懸命に働けば、しっかりとお給料も増やしていく。だからどこへも行かず安心しなさい、私はお前の雇い主だが、父のように思い、頼りなさい。」と伝えました。

息子は自分自身の事を身分の低い卑しい存在だと思っていました。だから最初に父や使用人が綺麗な格好をして近寄ってきただけで、何も悪いことをしていないのに、何か場違いで悪いことをしてしまったんだと怖くなって逃げてしまったのです。

それから父は20年をかけて少しずつ少しずつ、息子に様々な仕事を任せ、自信をつけさせていきました。そして最後に、皆の前で、この者は私の息子であり、私はこの者の父である、今私が有する全てのものをこの者に譲ると告げたのです。

この息子は何を表しているのでしょうか?それはまるで豊かな心の故郷を持ちながらも、その事を忘れ、貧しい心や迷いに囚われた私達自身の姿なのかもしれません。そして自身の尊さを思い出させる、これこそがこの譬え話に出てくる父の、そして法華経を説かれた仏様の切なる願いなのだと、学ばせて頂きました。

『妙法蓮華経 信解品 第四』

松原泰道師の「いろはに法華経」を参考に書かせて頂きました。

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